据え膳を食うも食わぬも、自己責任
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女性から誘いをかけられ、それに応じないのは男性として恥じであるという意味の「据え膳食わぬは男の恥」が元の句。「据え膳」は俗に、女性から男性に言い寄ることを意味しています。でも、あぶないんだよね〜、これが。「据え膳」なのか?「毒入り膳」なのか?ちょっと話しただけでは判らないのですよ。美味しくいただいて、ごちそうさまで終われば問題はないのですが…。このことわざが使われた時代と現代の文化的背景の違いを良〜く考えないと、人には話せない悲惨な結果になる可能性が高いのです。世の中には美味しい話はめったにはないと注意するくらいでちょうど良いのでは?。でも、めったにはないかもしれないけれど、もしかしたら?…。
「かなり悲惨な経験がありそうですね」と甚ちゃんが聞く。残念でした。恥はあちらこちらでかいてますが、悲惨な経験はありません。『企画屋、危うきに近寄らず』なもので、その手のトラブルとは無縁です。「危うきに自ら飛び込むタイプに見えるんですけど」とだいちゃん。確かに日常の行動はかなりヤバイかもしれないけれど、危険なのか?チャンスなのか?を見極める判断力に、間違えはございません。ここだけの話しだけど、お笑い系の友人と一緒にお酒を飲むということは、時限爆弾を抱えて酔っぱらっているようなもの。常にクールな判断力が要求されるのです。「その言葉、そっくりそのままお返しします」とだいまじん。なに?やっぱり?。酒を飲むと飲まれてしまう今日この頃。『酒のせいだと自己弁護、言い慣れてきた自分が恐い』 |
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笛を吹かれても、下手な笛では踊れない
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準備を整え、懸命に誘っても、相手がそれに応じないという意味の「笛吹けども踊らず」。新約聖書の言葉なんだけど、語源を無視して屁理屈を言うなら、踊らずなのか?踊れずなのか?で意味は大きく違ってくるよね。準備を整えるのも、懸命に誘うのも勝手だけど、それに応じないからといって文句は言われたくないよね。<踊らず>は踊る気がないんだし、<踊れず>は踊る気はあるけど踊れない理由があるんですよ。ではどうすれば良いのか?。努力を無駄にしないためにも、準備をする前に踊らす相手の情報を集めるべきです。次に集めた情報を分析し<踊らす>工夫をする。それからじっくりと準備し、懸命に誘えば、「笛吹けば、皆踊る」となるはずです。たぶん…。
「なんですか?その、たぶん…と言うのは」と甚ちゃんに聞かれて返事に困った。実はある人から、<ことわざ>の文章はちゃんと調べて書いているのですか?と聞かれたのです。正直に言います。調べていません。仕事柄いろいろな人たちから相談を持ちかけられ、ボクなりのアドバイスをしてきました。その一部をボク流にアレンジして書いているだけなので、もっと気軽に、ス〜と読んでほしいんですよ。一字一句をじっくりと読まれるとね〜。辞書や辞典で調べながら書いてる訳じゃないから、ボロも隠されていますよ。たぶん…。だから、記憶があやしい箇所や都合の悪いところは、今回から、たぶん…で逃げることにしました。「なんだか、性格がモロに出てますね」とだいちゃん。ハイ、モロ出しです。たぶん…。 |
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実るほど頭は下げても、胸は張れ。稲穂は稲穂、人は人
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「実ほど頭を下げる稲穂かな」ということわざがあります。稲の穂は実が入るほど垂れ下がってくることから、人も中味が充実している人ほど謙虚だ…という意味なんだけどね。「俺は、俺は…」と自分の力を誇示する人も嫌みだけど、謙虚すぎる人も嫌味ですよ。中味が充実したということは、それだけの実力がついたということ。多少は謙虚に「まだまだ勉強中です」と頭は下げることも大切だけど、正当に評価された実力なら、堂々と胸を張りましょうよ。
仕事柄いろいろな人と飲む機会が多いけど、第一線で活躍する人は自信たっぷりに話はするけど謙虚ですよ。特にお笑いの人たちは会っていて気持ちいい。回りの人に気を使い、謙虚で礼儀正しいけど、芸に関しては妥協しません。プロの心意気を感じます。
「誉められるのも嬉しいけど、厳しい意見がボクたちを育ててくれるんですよ」と甚ちゃんは言う。「でも、自分たちの芸が一番面白いとも、思っていますけどね」とだいちゃん。ふだんは無口な<だいまじん>も芸の話になると饒舌になる。「お客さまの笑いが大きければボクたちの勝ち。少なければ負け。評価はその場で出ますからね」とも言う。ボクには無理です。厳しい意見なんか聞きたくないし、その場で評価されるのもイヤ。だから、好きな仕事しかしないのです。そんなボクに「<だいまじん>さんを見習いなさい!」と娘のキツイ小言。ボクは芸人ではアリマシェ〜ン。正式な肩書きはクリエーティブプランナーで〜す。 |
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備えあっても患いあり。備えなくても患いあり
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普段からイザという時のために準備をしておけば、万一の場合も心配がない…という例えの「備えあれば患いなし」。『書経』からの出典なんだけど、いくら備えても患いはあります。例えば自然災害。いつ?どこで?どの程度なのか?は誰も予測できないし、人が関わる犯罪にしても次から次に新手が現れるしね。だからといって備えがなければ、もっと不安だし。どうすりゃいいの?なんだけど、ボクは天災は運命だと諦めることにしているし、人災は注意はするけどそれ以上のことは、これも運命だと諦めることにしています。いまのところ運命の神様はボクの味方です。
「備えても備えなくても同じなら、備えるだけ無駄なの?」と娘が聞く。「備えるべきところは備える。だからといって、それで安心ということはない!という意味ですよね?」と甚ちゃんが言う。さすが子供の質問、大人の解答。その通りです。ボクはシンプルに考えるクセがあるから、守るものが多ければそれなりの備えは必要、守るものがなければ備える必要がない…と、単純に思っているのです。「それにしても、なんでも運命に託しちゃうんですね」とだいちゃんからのきついツッコミ。そうなんです。ボクは子供の頃から無駄な努力はしない主義なので、必要な努力をした後は、『人事を尽くし、天命に委ねる』ことにしているんです。待つのではなく、委ねるのです。ボクと神様との信頼関係はそうやって育んできたのです。ね?、神様?。 |
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天は、二物を与えてくれている
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神様は、一人の人に多くの才能や美点を与えることはない…と言う「天、二物を与えず」。完璧な人はいませんよ〜という意味なんだけど、確かに完璧を求めるのは無理かもしれない。でも、普通の人が描く普通の夢や、ささやかな自己満足を満たしてくれるくらいの才能や美点の2つや3つは、誰にでも与えられているものです。問題は、そのことに気付くかどうか?、気付くとしたら、いつ気付くかなんだよね。若い内に気付いた人は、それを武器にソコソコの幸せを手に入れれるだろうし、気がつかない人は「天、二物どころか一物も与えてくれず」な〜んてグチっているんじゃないの?。グチっていても何も解決しませんよ。さあ、開花させよう貴方の才能。今回は才能開発講座・初級パート?「好きから始まる」
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあるように、人は好きなことなら、熱心に勉強するし努力もするから他の人より上達するのが早い。ということは、好きなことを探しさえすれば、楽しみながら自然に上達し、「すごいな〜」な〜んて周りの人に誉められ、その気になってさらに努力を重ねれば、いつの間にかその世界のスペシャリストになっているということなんです。「そんな簡単にいくの?」と聞かれそうだけど、簡単にいくんです。ボクの周りの成功者が証明しています。好きなことも、極めればビジネスになるのです。人はそれを「才能のある人」と賞しています。ですよね?、甚ちゃん?。 |