一を聞いて十を知るより、一を聞いたら一を覚えろ
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物事の一端を聞いただけで全体を悟ることの例えで、理解が早く洞察力が鋭いことを意味する「一を聞いて十を知る」が元の句なんだけど、情報が運命を左右する戦国時代ならともかく、情報過多の現代は一を聞いたら一を正しく理解するのが基本。街には情報が溢れています。正しい情報もあれば、誤った情報もあります。普通の人生を普通にエンジョイしたいボクたちには、正しい情報を正しく理解するだけでも充分なはず。知恵とか工夫は基本とは別物。知識は学校で学び、知恵は社会で学ぶものなのです。学歴がなく知識の少ないボクでも、遊びながら学んだ知恵と工夫だけで、世の中をス〜イスイと生きて来ました。
「本当は陰ですごく努力したんでしょう?」と聞かれますが、努力とか頑張るとかは本気で嫌いです。ボクが理想とするポジショニングは『中の上』。好きなことを我慢して、努力を重ね、上のクラスでもがき苦しむよりも、中で充分。得意の分野のいくつかを持てば、同じ中クラスでもかなり上位を、ラクにキープできるものです。ボクの場合は、得意な分野は熱く語り、苦手な分野は静かに聞く。そんな要領の良さだけで厳しいビジネス戦争をソコソコの評価を得ながら、ノラリクラリと生き抜いてきました。そのあたりの『企画屋流・そこそこ成功する秘訣』は、語り始めると長くなるので、興味がある人は、じんちゃんのホームページ宛に御連絡下さい。時間の都合がつくようでしたら個別に伝授いたします。但し、アドバイス料は高いですぞ。なにしろ、『一を聞いて、十の知恵を巡らす』秘訣ですから。 |
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阿吽の呼吸の乱れは、不仲の始まり
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一緒になにかをするときの両者の微妙な呼吸や調子がピタリと合うことを意味する「阿吽の呼吸」。『阿吽』とは梵字の字母の初音と終音で、あらゆる現象の始めと終わりとか、吐く息と吸う息を意味しています。な〜んて学校で習ったことをそのまま書きましたが、早い話が、「おう、オレたちピッタリ合うじゃん。これっって阿吽の呼吸?」と使えば良いのですが、一緒にいる期間が長くなってくると、これが微妙に乱れるんですよ。例えば、お笑いのコンビとかバンドのメンバーとかね。特にバンドに関してはプロデューサーとして、阿吽の呼吸の乱れから解散へのパターンを何度か経験しているけど、共通しているのは、ひとつのハードルを超えたときに乱れることが多いんです。目標をクリアーすると、さらに高い次の目標に向かう人と、これ以上は無理という人との素質の差が乱れの原因。アマはプロになることが目標で、プロは勝ち抜き続けることが目標。志しの違いは大きいですぞ。
「ボクたちもデビュー後にコンビを解散して、今の<だいまじん>を創りましたから、わかります」とじんちゃん。確かに、苦楽を共にしてきた仲間と別れるのは辛いけど、より高いハードルをクリアーしなければ生き抜いていけないのがプロの世界。歩みを止めれば、後から追いかけて来る人に抜かれるのです。
それに対して微妙な呼吸の乱れに気がつかず、人生がひっくり返るような状況を招くのが夫婦の呼吸。熟年の夫婦に多いようですが、これはやっかいです。我が家の場合は、結婚したときから阿吽の呼吸は乱れっぱなしなのですが、不思議と長持ち。日々、微妙な緊張感があるからですかね。友人はそれを『阿吽で保つ夫婦仲』と呼んでいます。ア〜、ウン、そうかもね。 |
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肥満大敵
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油断こそ最強の敵だという意味から、気を緩めて注意を怠ると大失敗をしたり身を滅ぼしたりすると言う『油断大敵』。そうなんですよ。昔も今も、厳しい時代を生き抜いていくには、油断は大敵なのです。同じ意味?で、肥満も大敵。なにしろ「肥満は万病の元」(『油断は怪我の元』)とも言うし、肥満も過ぎると体がゆるみ、「肥満は隙間もない」(『油断も隙もない』)という見苦しい状態になってしまうのです。肥満コンプレックスの皆様、ごめんなさい。遊び過ぎでした。
でも、女性と男性では肥満の基準は違うようですね。男性は体の全体のイメージで肥満を語るけど、女性は体の部分で語たるようです。昔、交際していた女医さんは、どこから見ても普通の体型。あえて、どちらかと言えば痩せぎみだと思っていたのですけれど、本人に言わせると太っているから恥ずかしい…と言う。ある日、実家に用があるとかで一週間ほど帰省し、戻った本人曰く「痩せたでしょう?」。「どこが?」と聞いたら、怒られた。部分痩せの整形美容をしてきたらしい。その場はなんとかごまかしたが、いまでも解らない。どの部分を痩せさせたのか…。
じんちゃんがスポーツクラブに通い体を鍛えていると言っていたけど、なるほど自慢するだけのことはある。ライブで裸を見たが様になっている。ボクは体を鍛えることを目的に運動をしたことがない。178cm・78kg。散歩が趣味なので足腰は丈夫だけど、体型は年相応だと自覚している。つまり、『肥満体的』。う〜ん、シャレまで年相応のオヤジギャグになってきたぞ。ヤバイ。 |
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衣食足りたければ、まず、礼節を知れ
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人は生活が豊かになって、はじめて礼儀に心を向ける余裕ができ、節度をわきまえるようになる…という『衣食足りて礼節を知る』。そうかな?。いくら時代が変わったとしても、礼節=礼儀や節度をわきまえない人が、衣食が足りて生活が豊かになるほど稼げるとは思えないんだけどね。礼儀や節度を守るということは、社会人としての基本。以前にも書いたかも知れないけれど、ボクの考えの基本も<挨拶から始まる>なのです。明るく元気に挨拶されて、嫌だな〜と感じる人はいないはず。礼儀だとか、礼節だとか、そんなに難しく考えないで、きちんと挨拶をすることから始めましょうよ。加えて、なにかしてもらったら「ありがとう」と、キチンとお礼を言う癖をつける。それだけでも効果は絶大のはず。回りの人が好意的に接してくれます。「あいつ、良い奴じゃん」ということを認知してもらえば、人生の勝負の半分は勝ったようなもなのです。
ボクが社員の入試の面接で重視するポイントは三つ。ひとつは挨拶。次に自分の考えを相手に伝える能力。そして、最終的には笑顔の善し悪しで判断します。不思議なもので、笑顔には性格が現れます。嘘だと思う人は、これから人と会う時は注意して見て下さい。ニコッと笑う笑顔の奥に隠された、その人の心や性格が見えますから。
その点、じんちゃんの笑顔は気持ちが良い。気持ちで笑う。例えば電話で話をしていても笑顔が見える。先日も『ライブ見に来ませんか?』という誘いに宇都宮まで日帰りで出かけた。たった30分のライブを見るために新幹線で往復ですよ。帰りの新幹線の中で考えました。素敵な笑顔は人を動かすとね。ちなみにボクの笑顔は、下心がミエミエだと言われました。残念〜!。 |
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勝つも負けるも、実力プラス、多少の運
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勝ち負けは実力だけで決まるものではなく、その時の運に左右されることが多いという例えの「勝つも負けるも時の運」。ツキの女神様を敬愛するボクが、その通り…と言えないのが辛いです。このことわざは、実力が伯仲している場合に限り、勝ち負けは時の運という意味にとらえたほうが良いでしょうね。一度や二度の勝負ならマグレやアクシデントで勝てることがあるかもしれないけれど、何度も対戦すれば実力の差ははっきりと出ます。但し、屁理屈を言うなら、実力の差は永遠ではありません。強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのです。今日は負けるかもしれないけれど、明日は勝つかもしれない…、それが勝負なのです。
「賭け事は?」と聞かれる前に答えます。<賭け事も、実力プラス、多少の運>です。ですから、実力のない人は一時的には勝っても、続けて勝負すれば必ず負けます。常識的に考えてみましょうよ。例えばパチンコ。駅前の一等地に店鋪を構え、新機種が発売される度に新装開店の広告をし、赤字覚悟でジャンジャン出す。それだけの先行投資をしているんですよ。素人は勝てません。「たまには勝つよ」と言う人も確かにいます。但し、たまには、です。そのたまにが、あまりにもハデで豪華絢爛に勝つものだから、止められなくなる。別名:パチンコ依存症。実はボクも、その初期症状に冒されています。『運よりも当てにならない魚群のリーチ』なんて一句が、瞬時に浮かぶくらいなんですから…。反省。 |