格言 Proverb【じんのすけ×だいまじん】jinon.com

甚ちゃんの馬主仲間?企画屋孝太郎さんのページです。
企画制作会社を経営する孝太郎氏が元来の“ことわざ”や“格言”を
現代風に独自の視点でおもしろおかしくアレンジしてくれます。
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格言top
汝の敵を愛せと言うが、敵まで愛する余裕はない

 好意を持ってくれている人を愛することは誰にでもできるけど、敵対する相手を愛する心も、持ちなさいという『汝の敵を愛せよ』。新約聖書の教えなんだけど、これだけキツイ時代になると、自分の味方を愛するだけでもアップアップ。ましてや敵まで愛する余裕なんて、とてもじゃないけど、ありません。なにしろ、近頃の味方は要求が多いもので…。
 我が家では嫁と娘の連係が上手くいっているようで、嫁の言いにくい事を娘が言い、娘が言いにくい事を嫁が言う。では、ボクの言いにくい事を誰が代弁してくれるかというと…誰も、いない。まさか、嫁のペットのローズ(猫)に頼むわけにもいかないしね。最近は健康に関する要求が多くなり、反論できないんですよ。例えば、最近の一番キツイ要求は、タバコ。
 今年の一月に家を新築したんだけど、家でタバコが吸えないんです。嫁に「タバコのヤニで、家が汚れる」と言われ、娘に「外でタバコを吸うくらいなら、止めたら?」と言われ、「オレが建てた家だ」と反論する勇気もなく、「好きなタバコも吸わずに、長生きなんかしたくない」と居直る度胸もないので、ホタル族に成り果てています。
 それにしても、嫁はボクの味方なんだろうか?と、疑いたくなる時があるんです。なにしろ、『結婚生活の長さに比例して、徐々に嫁は強くなり、徐々に亭主は弱くなる』という格言もあるくらいですから。誰の格言かって?。キカク〜ヤですよ。つまり、ボク。それにしても嫁の悪口は、ストレスの解消になりますな。クセになりそうです。


鯛もひとりは高いし旨からず。仲間とワリ勘、旨くて安い

「…奢ってくれればナオ嬉し」と続けたいところなんですが、奢らなきゃいけない立場なもので、ツライっす。魚の王様と言われるほど美味しい『鯛』でも、ひとりで食べたのでは美味しくない。やっぱり食事は大勢で食べるほうが美味しいね…という意味の「鯛もひとりは旨からず」が元の句。そりゃそうですよ。どんな豪華な食事でも、ひとりでは味気ないし、会話もないなんて寂しすぎます。気の合った仲間とワイワイ騒ぎながら、飲み、食い、語り合う。しかもワリ勘。これがゴチならもっと楽しい。でも、このことわざには関係ないけど、ボク個人の好みから言うと、鯛はどちらかと言うと嫌いな魚のひとつなんです。タイして旨くないのに高い。だから自分から進んで食べる気なんておきません。その代わり、鯛焼きは好きです。ハイ、関係ございませんでした。
 <だいまじん>のじんちゃんの紹介で、宇都宮の美酔会(日本酒を愛する仲間の会)の主催者の橋本さんのお店に、何度か飲みに行ったことがあるけれど、やっぱ美味しい酒にはゴキゲンな店主が似合うよね。どうゴキゲンなのかと言うと、酒好きのボクよりも店主の橋本さんの方が、はるかにお酒好き。好きだから、やたらに詳しい。詳しいから、その日の気分に合うお酒を推薦してくれる。だから、橋本さんのお店では自分好みの銘柄で注文したことがないんです。橋本さんが、ボクたちの顔色で判断し、黙ってお酒を出してくれる。そうなんです。酒好きはその日の気分でお酒を選ぶんです。だから気分良く酔えるというワケ。嬉しいですな。
 でもね、なんせ宇都宮だから、飲み代と東京からの交通費を考えると…。てやんでえ。江戸っ子は旨い酒が飲めるんなら、どこにだって行くぜ。と言う事で、来月は宇都宮で飲みますかね。一緒に飲む仲間、大募集です。詳しくはじんちゃんに聞いて下さい。ヨロシク、酔いましょう。


危ない橋を渡るなら、自己責任の覚悟で渡れ

 今にも壊れそうな危険な橋を渡る…の意味から、危険を冒して物事を行うことや、法に触れるか触れないかギリギリの手段や方法で仕事をすることを言う「危ない橋を渡る」。普通の人が普通の暮らしをしている限りは、危ない橋を渡ることはないと思うんだけど、本人が危ない橋と思わなくても、危ない橋って身近にあるもんなんですよ。例えば、酔っぱらって深夜の新宿をフラフラと歩いてごらんなさいな。危険な魅力をふりまく、危険な誘惑ばかり。それにしても、危険な誘惑って、なんであんなに魅力的なんだろう。「自己責任と言われても、ついつい渡る、ヤバイ橋」。な〜んてね。
 ボクはプライベートでは、危ないと思われる橋はどんなことがあっても渡らない人です。危険な場所には近付かないし、行きたいとも思いません。でも、ビジネスではかなりのリスクを覚悟で商売をしてきました。危ない橋だって何度か渡りました。とは言うものの、ホリエモンや村上ファンドと比較するのが、恥ずかしくなるほどスケールは小さいですけどね。
 「タバコも危ない橋のひとつですよね?」と、じんちゃんが痛い所を突いてきた。確かに意味的にはそうかも知れない。でもさ、ボク等の世代はタバコの効用を散々薦められて、止められなくなって来た頃に、タバコは危険ですと言われてもね。じんちゃんは止めたけど、ボクには無理です。だから決めたんです。頭と身体がタバコを受け入れてくれるほど元気な内はスパスパ吸って、タバコが吸えないほどの病気になったら…きっぱり止めるって。えっ?それじゃ意味ないって?。ごもっともです。


一寸先は、闇とは限らない。たまにはバラ色もあるぞ

 一寸先は、ほんの少し先の未来の意味で、未来は闇の中にあるようなものだから、まったく予測できないということわざの『一寸先は闇』が元の句なんだけど、バラ色じゃダメですか?。油断を戒めるためのことわざだから、闇と例えるのもしかたがないかも知れないけれど、バラ色かも知れない…と希望を持たせてくれれば、油断なんかしないし、ますます張り切っちゃうかも知れないんだけどね。
 会社を経営していると、この「一寸先は闇」ということわざを、身にしみて感じることがあるんです。クライアントからの無理難題や、取引先が倒産したり、入金予定を先延ばしされたり、受注がほぼ決定していた仕事が突然にキャンセルされたりね。これが本当の『お先真っ暗』。でもね、闇の次に来るのは『夜明け』だと信じて頑張っていれば、なんとかなるもんですよ。それにね、ここだけの話しだけど、一寸先がバラ色ってこともあるんですから。闇を覚悟していたら、バラ色だったりしてごらんなさいな、たまりませんよ。
 昔、偉い先生に言われたことがあるんだけど、例えマグレ勝ちでも何度か続けばそれは実力だよってね。でもボクはそれが実力だとは思えないんです。ウンは味方として頼りにしていますが、マグレは頼らない主義ですから。だって、マグレは勝てる見込みがないのに、なんらかの理由で勝っちゃった…と言うことでしょ?。ウンは、勝ち負けは運次第…ですよね?。いくらボクがいいかげんな性格でも、マグレでなら勝てるかも知れないな〜んて戦いは、しませんよ。とは言うものの、マグレ勝ちが何度か続き「それも実力」と言われたのは…実は、若い頃のボクなんですけどね。『企画屋の 真の評価は 昔はマグレ 今はウン』=ハイ、間違いございません。



『負けるが勝ち』のつもりでも、世間の評価は『負けは負け』

 争いは、勝つだけでなく、いったん相手に勝ちを譲ることが、大局的には有利な結果になることが多いという意味の『負けるが勝ち』。本当にそうなのかな?。相手に勝ちを譲って、それでも有利な結果を残す…と言うことは、相当な実力の差を、戦う相手だけでなく、世間も認めてくれないとできませんよ。勝ちを譲ったつもりでも、逆にナメられる事もありますから。「勝ちは勝ち、負けは負けだもんね」な〜んてね。ギリギリの差なら、「オレの方が強いんだ。ザマアミロ」と逆に見下され、どちらにしても有利な結果なんか残させてくれません。勝負とはそういうものなんです。強い者が勝つんじゃなくて、勝った者が強いんですから。
 「企画屋理論では『勝負は時の運』であり、『ゲタを履くまで解らない』なんですよね?」と、飲み会でじんちゃんに冷やかされたことがある。ビジネスの勝負の話はさて置いて、プライベートでは<運の神様>の顔色を伺いながら、お小遣いの範囲で毎週末に中央競馬会に勝負を挑んでいます。ハイその通りで、ボクは運を頼りに戦っています。勝負を始める前は神様に祈りを捧げ『必勝祈願』を、勝負の最中は『勝負は時の運』だと念力をこめ、最終レースでは『ゲタを履くまで解らない』と気持ちを引き締め、勝てば「ボクって天才かも」と喜び、負ければ「今週は運の神様の御機嫌が悪いかった。来週までに御機嫌直してね」と、一喜一憂しながら遊び感覚で勝負を楽しんでいます。でもね、不思議なことに、小銭を賭けると当り、大金を賭けると外れるんです。賭け事はお小遣いの範囲なら許すけど、生活まで賭けてはいけないという神様の教えなんですかね。だから、今週末も小銭で『勝負!』なのだ。